ツーリスト(原題:The Tourist) のレビュー(評論、批評、見解、感想)

ツーリスト(原題:The Tourist)

 

チャーミングでハンサム、お笑いからシリアスまで思うがままのジョニー・デップ、ゴージャスでセクシー、アクションからアニメまでさばききるアンジェリーナ・ジョリー、そして激しく真剣、ヒーローから悪役までやりこなすポール・ベタニー.
第79回アカデミー賞外国語映画賞受賞秀悦作『善き人のためのソナタ』(独題: Das Leben der Anderen, 英題: The Lives of Others)の監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク、第68回アカデミー賞脚本賞『ユージュアル・サスペクツ』(原題:The Usual Suspects)の脚本担当クリストファー・マッカリー.
クレジットに勢揃いした名前を観るだけで映画館に馳せ参じてしまう.
これだけのスターキャストとスタッフで素晴らしい映画ができないはずない、という浅はかな仮定がまたも見事に裏切られる例として、映画学校の課題のひとつになるかもしれない.

© 2010 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

巴里のある朝、エリース(アンジェリーナ・ジョリー)は行きつけのカフェで配達人からかつての恋人アレクサンダー・ピアスの手紙を受け取る.
アレクサンダー・ピアスは二十億ドルという大金を犯罪組織から盗み出し行方不明になっていた.彼の顔を知らない警察はエリースを監視し彼女を追う.
自分と同じ身長、体格の男を汽車の中で捜して、追っ手を混乱させて欲しいというアレクサンダーの指示通りヴェニスに向かう汽車に乗り込んだエリースは、アメリカからの旅行者(ツーリスト)で数学の教師フランク(ジョニー・デップ)に目を付けるのだった. 

サーベイランス中刑事の会話に始まる台詞の陳腐さに耳を疑う.その後の汽車での会話、ホテルでのやりとりなど脚本の貧弱さに驚きを通り越してあきれてしまう.
マッカリーと『ゴスフォード・パーク』(原題:Gosford Park)でアカデミー脚本賞を受賞したジュリアン・フェローズはいったい何を考えていたのだろう.一人ではなく多くの才能がぶつかり合い過ぎて返ってひどい結果になってしまったのだろうか.こんなシナリオでは演技もままならない.
ポール・ベタニーをつまらない法の人間にした罪は重い.
しかし、シナリオのせいばかりにできないのが、女優アンジェリーナ・ジョリーだ.

美しさ、優雅さ、静かな強さは、ジョリーが何をしなくても見せて感じさせる要素.役者としてのジョリーの魅力は、それをどう操るかにかかっている.エリースの真のエッセンスを表現できないまま終わっているこんな半端な演技をする彼女は久しぶりだ.
『シカゴ』(原題:Chicago)『SAYURI』(原題:Memoirs of a Geisha) 『アリス・イン・ワンダーランド』(原題:Alice in Wonderland)でアカデミー衣裳デザイン賞を受賞したコリーン・アトウッドが、ジョリーをエレガントかつ豪華な衣装で包み、着せ替え人形のように着飾っている.
表面だけで心のこもっていないただのオブジェクトに甘んじ、アレクサンダーとフランクの間で揺れる女心がどこにも見えない.
昨年の映画『ソルト』(原題:Salt)で熱演した彼女とは気の入れ方が違う.家族にイタリアを見せる為とか、時間つぶしの感覚でこの映画に出演したのではないだろうか.女優業に疲れてきたと噂があるだけに残念だ.

© 2010 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

一方、頭をかしげてしまうのがジョニー・デップ.
彼のおとぼけは『パイレーツ・オブ・カリビアン』でうまくいっても、この映画では宙に浮いてしまう.
そして彼は「普通」のアメリカ人に、見えない.
ドナースマルク監督もデップ自身も「普通」を演じる事の難しさや意義を語っているが、結果として失敗に終わってしまったのだろうか.
彼の役どころがこの映画の中で一番難しい.レイアーのある「間違えられた男」というものは、ちょっとした仕草が鍵なのだ.監督はそれをうまくデップが表現したと讃えているが、あまりに微々たるもので見逃してしまったらしい.技量のあるデップが故に監督の言葉を信用したいが、一般の眼にはそう映らなかった.
また、デップのファンは、キャプテンジャックやマッドハッターの化粧のし過ぎが彼の皮膚をあのようにしてしまったのではないかと心配してしまうだろう.

けれども、この二大スターがしっくりあっていないのは一般の眼にも充分伝わった.それぞれが主役級であるがためだろうか.強さがぶつかって無と化してしまったのか.
ジョリー演ずるエリースがデップ演ずるフランクに魅かれ、二人が恋に落ちるとは信じ難い.
思い起こせば、ジョリーの長いキャリアの中で彼女とのつながりに信憑性があったのは『ポワゾン』(原題:Original Sin)のアントニオ・バンデラスと『Mr.&Mrs. スミス』(原題:Mr. & Mrs. Smith)のブラッド・ピットのみだったような気がする.

スリラーを成功させるのに必要なおしゃれな会話、意味深なやりとり、奥の深いキャラクター、興味をつなぐプロット、心躍るサスペンス、情熱的なロマンス、これらすべてがこの映画から欠けている.
当初トム・クルーズとシャーリーズ・セロン共演で制作されるはずだったこの映画の原作は、日本でも人気のあるソフィー・マルソー出演の2005年フランス映画『アントニー・ジマー』(原題:Anthony Zimmer).

映画を観る目的は様々だが、ジョリーの美しさと、イタリア誇るヴェニス(英語: Venice )又は、ヴェネツィア(イタリア語:Venezia)の美しさを観ることだけが目的なら充分楽しめる作品である.
質の良いスリラーを御捜しの方には向いていない.